高次脳機能障害の患者を30年間、地域連携で見守った

介護が必要な状況というのは、何も認知症のみではありません。

場合によっては高次脳機能障害についても、リハビリや様々な介護が必要になることもあります。

MSWとして20年近く勤務してきた筆者は、高次脳機能障害の患者様についても多数事例を見てきました。

そして高次脳機能障害は、認知症と同じくらいか、あるいは認知症よりも症状の出かたがケースバイケースで、またリハビリ職員やケアマネージャー、MSW、さらには地域行政も含めて他職種連携で見守っていくべき事例が大変多く見受けられます。

今回は高次脳機能障害と診断されてから30年(!)の間、ご家族様はもちろんのこと、MSWやリハビリセンターの職員、そして地域の行政機関が連携して、ご本人様を見守り続けた-そんな事例について、ご本人様および事例を特定できないように加筆修正した上で、ご家族様である妹様の視点から書いた手記風にご紹介していきます。

 

50歳の兄が高次脳機能障害の診断を受けた、19歳の夏

兄は現在50歳。19歳の時にバイクの事故で頭部に外傷を負い、高次脳機能障害の診断を受けました。

今から30年以上の前のことで、当時高次脳機能障害という障害は一般的ではなく、身体の後遺症はなかったので、すぐに復職をしました。

が、工場で機会を扱う仕事なので、注意力の低下により事故やケガを繰り返すようになりました。

そのため任される仕事が激減し、仕事を継続できなくなってしまい退職することになりました。

何故、兄はそうなったのだろうと腹立たしさを感じ、自宅に引きこもりになっている兄と喧嘩が絶えなかったことを思い出します。

当時は今と違いインターネットですぐ調べられる環境ではなく、書物なども探しましたが皆無でした。当時は認知症のことを痴呆と呼んでいた時代でしたからね。

それでも、定期の通院の度に主治医に何度も相談したところ「C市にWリハビリセンターがあるから紹介状を書きますね」と言われました。

なんのリハビリが兄には必要なのだろうか、と半信半疑でした。

ただ、紹介状をせっかく書いてくれた先生に悪いと思ったので、一応受診してみました。

 

高次脳機能障害対応のリハビリセンターで社会復帰へ

すると、そこのリハビリセンターは身体が不自由な人がリハビリするだけでなく、高次脳機能障害のリハビリも行っていたのです。

作業療法士さんや臨床心理士さんが担当してくれました。そこでプログラムに沿った就労訓練を受けました。

支援が進み、社会復帰への道筋として自宅から近い就労以降支援をしてくれる事業所を利用し、身近な支援者による支援を受けながら就職活動をする段階まで行きつきました。

兄の元々の性格が人懐っこく明るい性格で、その部分は残存していたので、その部分を評価してもらえて正社員として再就職ができました。

兄は記憶障害であることを自覚しており、リハビリの成果でメモを取る習慣がついていました。しかし、注意障害は本人自覚がなくミスをすることがあり、リハビリスタッフの助言により、写真を手順通り並べて示すような視覚支援を用いた手順書的なものを準備してもらえたり、機械の注意すべきスイッチなども特別な表示にしてもらえたりの配慮を受け、記憶障害を補うことで仕事上のミスも未然に防ぐことができました。

 

社会性の障害が表面化した、とある年末

しかし、社会性の障害については問題が表面化するまで妹の私もリハスタッフさんもわかりませんでした。これがいけなかったのです。

仕事も定着した年末のある日に、通勤で利用する駅の券売機にビールをふりかけるということをしてしまい、警察から厳重注意を受けました。

このとき兄はお酒に酔っていて、「そんなことをしたのは電車内で他の乗客から邪魔だと注意を受けてむしゃくしゃしたからだ」と理由を話し、反省の色はみえませんでした。

そのためその点を注意しながら様子をみることにしていたのですが、年明けしてしばらくした頃、今度は万引きをして警察に捕まったと私に連絡が入りました。

兄に会って話を聞くと、「仕事場で自分はもっと難しい仕事を任されてもよいと思うが、同じ仕事ばかりで不満に思っている。万引きをした日も他人が万引きしているのを見て、自分もできると思ってやってしまった」と話し、病識の薄さが現れだしたと思いました。

そこですぐにWリハビリセンターに連絡し、支援をうけるようにしました。万引きの件は起訴猶予になったものの、会社からは自宅謹慎処分を受け、この期間に就労移行支援事業所で再訓練をしてからその経過を会社側に報告してもらい、復帰を考えると会社側から伝えられました。

兄は1人暮らしであるため、今後は日中だけではなく夜の支援も必要になると私は思いました。

就労移行支援事業所のスタッフは「会社からもらった最後のチャンスなので協力したい」と言ってもらえて、アフターケアとしてすぐに再訓練の場面を提供してもらうことになりました。

夜間1人でいるとまた自分でもできると考え、物を壊したり、盗んだりしてしまえば職場を失うばかりか、アパートの家賃も支払いできなくなり、住む場所も失ってしまうことになるので、夜間ヘルパー(家事援助)を導入することになりました。

ヘルパーには、世の中の常識やルールなどの助言をうけるように段取りしてもらうことにしました。思いついたことをすぐに実行せず、メモに書き、理解ある周囲の人たちに相談してから動くようにしてもらうことを約束させました。

兄の対応に関して、高次脳機能障害の特性と兄が陥りそうな傾向をスタッフ同士で共有し、生活技術や社会性のアドバイスを重点に置くことにしてもらえることになりました。

昼夜支援の受けることで精神面が安定したのか、大きなトラブルもなく過ごせるようになりました。しかし、まだ危機感を自覚できないことが時折見られ、その都度支援者が危機を自覚できるように促してもらい、何とか自立した生活を営むことができるようになっていったのです。

 

地域や他職種連携によるケアで、30年の間安定して生活を送れている

その後兄は、同じ会社で勤務を継続できています。

職場の職員も兄の状況を理解・把握してくれ、その都度、メモを取らせたり、注意してもらえるので約30年皆様のおかげで生活を営むことができています。

Wリハビリセンターに通院してなければ、きっと家庭崩壊などになっていたかもしれません。高次脳機能障害は見た目に障害が残ってないように見られるので差別や偏見も今でもありますが、安定した生活を兄が営めているので本当によかったと思っています。

 

 

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