札幌市南区の「社会福祉法人北海道ハピニス 特別養護老人ホーム 和幸園(施設長 佐藤 史彰)は、「日中オムツゼロ」を達成し、現在、入居者全員(120人)に対するトイレでの排せつを行っています。オムツゼロの取り組みは、利用者・職員・施設にとってさまざまな幸せをもたらしました。そのプロセスと効果について伺います。
オムツを使うことは「仕方ない」ことなのか
本来排せつはトイレで行うものであり、どれだけ高機能なオムツを使用しても、本人の自尊心を傷つけることは否めません。また少しの介護を行うことで、トイレで排せつできる場合でも、その能力が見落とされて、安易にオムツを使用し続けていることもあります。
昭和50(1975)年に開設した和幸園も、当時は入居者100名のうち84人がオムツを使用する、集団介護を基本とした老人ホームでした。「ベッドから車椅子へ移る『離床』は実施されていたものの、職員は忙しく走り回り、利用者とのコミュニケーションは密に行われているとは呼べなかった」と、当時の相談員だった平松朋紀常務理事は振り返ります。
在宅とかけ離れた施設でのケア
平成20(2008)年に、在宅部門に勤務していた大沼百合子氏(前施設長 現社会福祉法人北海道ハピニス理事)が和幸園の施設長に就任すると、”改革”が始まります。在宅ケアでは、一人一人に合わせた介護が行われていましたが、特養では施設のシステムに合わせたケアが行われ、利用者は笑顔どころか表情さえも失っているように感じました。介護職員たちも誰もがこのままではいけないと思いながらも、仕方がないと諦めている状態でした。しかし、竹内考仁先生が講師である「介護力向上講習会」でオムツゼロの施設の存在を知り、オムツを外すために必要な専門的知識を職員全員で共有することで和幸園の変革に繋げることを決意しました。
スタッフの自主性がパワーとなる
現在、和幸園はユニット型120人定員の施設ですが、当時は従来型100人定員の施設でした。オムツをすることが、尊厳の喪失や意欲低下に繋がっていることは理解できるものの、
介護現場からは、「介護負担が大きい」、「失禁した時に不衛生」、「介護度が高い方には困難」などの意見や、「トイレが少ない」など、ハード面の不備を指摘する声も上がりました。
できない理由を並べていても、オムツゼロは達成しません。介護の方向性を統一するため、相談員(ケアマネジャー)や、メインになる介護職員が介護力講習会を受講し、その後、委員の立候補による個別ケア委員会が設立。これまでのケアを変えていきたいと意気込むスタッフが集まり、大きなパワーとなりました。
ケアを数値化して分析
個別ケア委員会は、利用者の達成度を表にして検証するなど、これまで漫然と行われていたケアを数字で表すとともに、「あきらめない」、「できないいいわけを言わない、できる理由を考える」、「決めたものは守る」、「批判をしない」の4つのルールを設定。オムツ外し小委員、水分・食事小委員、歩行小委員、自然排便小委員などを配し、さまざまな角度からオムツ外しが検討されました。
■水分・食事小委員
水分摂取量1日1500㎖を目標に、水分摂取の重要性を説明。家族などにも協力を得て、好きな飲み物を多様に提供しました。食事も刻みやミキサー食を減らして常食にシフト。尊厳のある食生活に改善しています。
■歩行小委員
理学療法士(PT)を中心に座位・立位・歩行訓練を実施。5秒つかまり立ち、歩行器・シルバーカーによる歩行訓練などを行うことで、萎縮した膝の屈伸に改善が見られるようになりました。
■オムツ外し小委員
オムツ外しの定義を、①起床から就寝まで ②パンツのみか、パンツ+尿取りパットと規定。記録の徹底や職員間の情報交換、細かな観察と誘導などを行い、介護職員の対応に相違がないよう注意しながら実施しました。その結果、トイレでの排便が増加。600㎖しか摂取できていなかった1日の水分量が1000㎖になるなど、一連の取り組みの効果を確信しました。
上記の結果、平成22年10月18日、9~17時の間、寝たきりの方8人を除く全員のオムツ外しを達成。それと同時に、失禁による衣類の汚れも増え、洗濯物が山積みになる課題も残りました。
葛藤からの前進と離脱
介護職員の中には、失禁させてしまったことに自責の念を持ち、「自分たちがやっていることは、正しいことなのか」と葛藤しながらも、「失禁しないように専門職として努力しよう」という前向きな考えに支えられ、記録や観察からデータ分析するなど、失禁件数を減らしていきます。 当時の和幸園は定員100人で、ワンフロアに50人が暮らす多床室施設でしたが、小規模でのケアを行うために、各階の利用者と職員を8つに分けたセミユニットに改修。それに伴い食堂やトイレを増設しました。新たなケアの扉を開きつつある和幸園でしたが、乗り越えていかなければならない課題も存在していたのです。