(1) お布施理論
「情報の価格はお布施のようなもの。坊さん(提供者)と檀家(受領者)の格で決まる」
梅棹忠夫氏の情報産業論(1963年)ではこのように言っています。これを「お布施理論」といいます。坊さんの木魚のたたく回数が多かったとか、坊さんの御経の声が良かったといったことでお布施の額は決まらない。お布施の額は「払いたくなるような坊さんの格」と「払える檀家の経済力」で決まると言い切ったのです。
会社の評価も実はその人の人格で決まっています。誰を昇進させるかは人望、人格、人柄で決まっています。逆にこれを無視した会社の人事は会社を死滅させてしまうほどのミステイクを引き起こします。
(2) BSとPL
会社の人事評価にも、PL(損益計算書)とBS(貸借対照表)のような考え方があります。つまり、PLは期間のパフォーマンス・目に見える業績を評価します。一方、BSはある時点のその人の時価を評価します。人格、人柄も含めた保有能力といってもいいかもしれません。
ここでのポイントは、BSの「保有能力」というのは評価するのは難しいということ、そして、PLとBSにはつながりはもちろんあるが、それらの評価項目は全く異なるということです。
多くの評価はPLの積み重ねをBSとしているが、困ったことに、その人の「能力」は時代の変化やその人を取り巻く環境、健康状態などにより、「減損」している可能性があるのです。つまり、20歳から50歳まで勤務してくれた人のPL評価が過去に良かったとしても、50歳での時価評価は給与に見合わないということはよく起こるのです。
(3) 目に見えないものを見る努力を
半期や1年毎の業績評価は目に見える行動や成果を評価します。多くの人事評価制度はこれが中心になります。しかし、会社が断トツに優秀であればあるほど、このような評価はそれほど重視していませんでした。
「パッとしない会社は、成果(結果)のみを評価する。優秀な会社はプロセス(やり方)も評価する。超・優秀な会社は人としての”あり方”を評価し続ける」(by福田 秀樹)
そうです。超・優秀な会社は「人格」「人としてのあり方」を評価しようとするのです。仕事ができるより、まず人間としてどうかです。もっと、いえば存在承認をバンバン与えて、社格にあった人格を高めようとされます。
そうなると、従来の基準が事前にある評価、点数をつける評価が機能しなくなります。
「格」の判定は漠然とした「感ピューター」にならざるを得ません。評価者の主観が全面にでます。分析的・要素分解的な評価は客観的で公平に見えますが、結局は文句が出たときの隠れ蓑となっているにすぎないのです。
評価者は評価責任から逃げることなく、部下の行動事実をしっかり診て、その人を知りうる関係者全員の対話、収集できうる限りの事実情報をもとにした侃々諤々の議論により、公平性・客観性を確保すべきなのです。
この辛い努力を節約しようとする(又は節約できると売り込まれるサービスを使う)ことは結局はごまかしである、と私は確信しています。
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