介護老人保健施設において家族が満足した終末期ケア
筆者が支援相談員として勤めていた介護老人保健施設では、2012年~私が退職する2015年までに9名の入居者さんを看取ってきました。
当初は看護師・介護職とも手探りで状態でしたが、各職種がそれぞれの入居者さんとの終末期と向き合う中で入居者さんや家族の方が望む看取りができるようになってきました。
まだ看取りが注目されず、手本になる施設も書物もなかった頃でした。どれが正解で不正解なのかもわからない状況でした。
人の『死』を迎えるにあたり、正解も不正解もあるはずがなく、入居者さんや家族の方がどれだけ満足してもらえたかが大切なことであると考えさせられました。
入居者さんや家族の方にどのように接していき、信頼関係を構築し、試行錯誤しながら共に終末期を迎えることができるかが非常に大切なことであると9名の入居者さんから勉強させてもらいました。
今は施設での看取りが当たり前な時代になりつつあることは、『死』を迎える場所の選択肢が増えたことを意味し、とても喜ばしいことだと思っています。
今回はその中の一例を紹介したいと思います。
※倫理的配慮…家族に対し、本事例を本人を特定できないように再構成した上で事例を提供させていただくことについて了解を得ています。
事例紹介
田中さん(仮名) 80代 要介護4
・入居時の疾患:心不全、高血圧、アルツハイマー認知症
・内服:降圧剤のみの処方であり、抗認知症薬は処方されていませんでした。
・家族構成:夫は他界。一人息子さんが遠方の他市に在住、入院前は1人暮らしであったが、近隣に親戚が住んでおり、友人も毎日のように自宅を訪問してくれていたようです。
入所までの経過
夫の死後数年は独居生活でした。息子さん夫婦は遠方の他市に在住。独居中に心不全、心房細動を繰り返し、入退院も繰り返すようになりました。更に自宅で転倒し、右大腿骨転子部骨折で入院となり、リハビリ目的で当施設に入居されました。
入居時は要介護1の認定でした。
シルバーカーを押し、施設内の歩行は自立していました。田中さんの居室での生活は、ベッドに寝ていてもすぐに物が使えるよう所狭しと物を置いて手の届く範囲にほぼすべての私物がありました。息子さん夫婦は週1回面会にきて田中さんと共に外出し、外食をされていました。
また、友人の面会は週2回あり、田中さんと当施設の近隣で散歩や買い物をしていました。その頃に介護保険の更新があり、要介護3での認定でした。これには私も不思議だなと思いました。
入居されてから、身体機能も認知症場も低下していないのにもかかわらず、その認定に介護職や相談員は首をかしげていました。
しかし、年齢からくる老化(老化は病名ではありませんし、病気でもありません。自然の摂理です)から身体機能が徐々に低下し、歩行できていたのが車いすでの移動になり、更衣、排泄に介助が必要になってきました。
歯磨きや洗面などはまだ自立していました。
ただ、食欲の低下が見られ、1日分のカロリーが摂取できなくなったので、栄養補助食品(エンシュアリキッド:高カロリーの飲み物)を1日1缶出してカロリー量を維持していましたが、その後食事を食べても吐き出すことが多くなりました。
息子さんとの外出は継続していたのですが、田中さんの大好きなオムライスやカレーライスも以前は全て食べていたのが最近になり、半分程度しか食べなくなったと息子さんからの情報もでてきました。
今後の方向性の確認
息子さんに今後の方向性を確認しました。
病院に入院する選択肢があったからです。
しかし息子さんからは「前から母とも話をしていましたが、この施設での看取りを希望します。母と同室の人が自然に亡くなっていかれたのをみて、私たちもそのような自然な形で母が亡くなるのを望みます」とはっきり意思表示をされました。
田中さんの今後の方向性が看取りと決まった段階で、どのように対応していくのがいいのか息子さんにも参加してもらい、検討していくことになりました。結果「食欲がなく食べることができなくなっても、経管栄養や胃瘻は望みません。点滴もいりません。本当に自然のままでいいです」との意思表示をされました。
「水分も本人が嫌がるのであれば無理に飲まさなくていいです。」
息子さんはあくまで、本人の寿命に任せる姿勢でした。
「ただ、体の清潔は保ってほしいです。母はきれい好きだったので、後口が渇いているのであれば、少し口の中の清潔も保ってほしいです」との要望でした。
延命治療は望まないが、清潔にだけはしてほしいとのニーズを確認し、田中さんには最低限の支援で終末期を迎えてもらえるよう配慮することを各職種が共通の認識を持ちました。
ただ、床ずれに関しては褥瘡になれば感染症になる危険性があり、それは自然ではないので、すでにベッドで寝がえりもできない状況ということもあり、体位交換だけはさせてもらいたいと施設側から提案したところ「そこまでしてもらえるのであれば満足です」と体位交換については了解してもらえました。
食欲は徐々にでてきたので、通常の食事ではなく、田中さんの好きなプリンやゼリー、レトルトカレーなどをもってきてもらえるように息子さんに協力をもとめ対応してもらうことができました。
誤嚥性肺炎に注意しながら、ベッドをギャッジアップし、介助にて摂取してもらうようにし、全部を食べることができる事の方が多かったです。嚥下状態は保たれていたのです。
息子さんの要望は「口で食べることができる間は食べさせてほしい」「それでもし肺炎になっても仕方がありませんが、入院は希望しません。ここで(当施設)で、できる範囲での対処でお願いします。」との話になりました。
亡くなる寸前は足のむくみがでてきて、排尿が少なくなりました。ここで利尿剤の服用を提案しましたが、「それも寿命です。利尿剤は希望しません」との希望を確認しました。
息子さんとは常に連絡を取り合い、希望を確認し、それを対応していくことで息子さんとは信頼関係がさらに構築されてきました。
浮腫みや尿が出なくなってきた段階で「そろそろお迎えが来たのかもしれませんね。その時はよろしくお願いします」と息子さんの覚悟はすでにできていたと思われました。
そのような話しをしてから2週間後、眠るように亡くなって逝きました。
まとめ
このように終末期を迎えることができ、施設でも看取りに対して自信がもてるようになりました。
終末期には家族の方の協力も必要であることも再認識できました。
田中さんは最後の最後まで口で食べることができ亡くなっていきました。
これも自然に任せた結果、分かった事実でもありました。
何らかの処置をしてしまえば、このことは確認できなかったでしょう。「何もしない」ことが看取りにはとても大切なことであると痛切に感じました。
2ヶ月後の手紙
田中さんが亡くなって2ヵ月が経過したころに息子さんから手紙が届きました。
「大変お世話になりました。私や母の無理な要望にも応えていただき、母は満足して逝くことができたと思います。私もここまでしていただいて、本当に満足ですし、感謝の言葉しかありません。終末期をどうするかは、本当は息子としてどうしてよいのか正直わかりませんでした。でも今は後悔などではなく、自分の考えは間違ってなかったと言えると思います。本当にありがとうございました」との文面が綴られていました。
この瞬間のために「看取り」をした価値がはっきりわかりました。まだまだ圧倒的に施設での看取りは少ないですが、今後、施設での看取りが当たり前になれば、亡くなる場所の選択肢が増え、死に場所を本人・家族の方が決めることができる時代になれば喜ばしいです。