「看取りの時」社会福祉企業としてどうあるべきか
生老病死は人間には避けられない道です。
高齢化も急激なスピードで進んできて超高齢化社会にも近々突入します。その間、多種多用な生き方をしてきて、では最後にはどこで亡くなりたいかと考えるようになります。
統計によると「自宅で亡くなりたい」が圧倒的に多いですが、ほとんどが病院で亡くなっています。希望通り自宅で亡くなれた(語弊を恐れずに言えば)のは、ごくわずかでした。
筆者の住む街では、ある年の調査によれば自宅で最期を迎えられた方は3%でした。残りは病院もしくは施設です。
しかし、最近は入院期間も短くなり、長期入院が難しくなりました。在宅で介護できない方はどうするのか?施設に入居するしか方法がないのです。
施設形態も介護保険施行後、変化し認知症に特化したグループホームや、サービス付き高齢者住宅、有料老人ホームなどどんどん民間企業(介護業界ではない企業)が進出してきており、福祉・介護に競争原理が発生し、小さい施設や、ヘルパーステーションなどの介護事業所は大企業に飲み込まれていく傾向にあります。
これについては悪いことではありません。
企業のビジョンも大切だからです。
社会保障が今後も増え続けることは避けられない事実であり、在宅での看取りが難しくても施設で最後を迎えたいという方が増えてきています。
実際、介護保険施設では看取りの対応をしてくれる施設も増えてきています。看取りをすることにより介護報酬の加算が算定できるのですが、看取りはその加算には見合わないと考えています。
なぜなら、常に終末期を迎える方に対して他の入居者に対応しながら24時間体制で観察する必要がありますし、少しも息をつけません。
それでも看取りを施設で対応するのは報酬だけではないニーズがあるのだと思います。
このことは数年前から注目されてきています。昔は訪室したら亡くなっていたなどのケースはありましたが、それは偶発的な「自然死」で本来の看取りは違います。
看取りは入居者さんや家族の要望により実施されます。最後まで治療を継続させたい家族の方もいます。それも選択肢であり、その際は救急搬送するわけです。
そうではなく、自然に任せて亡くならせてあげたいという家族のニーズは増えてきています。しかし、いつ亡くなるか分からない入居者を看取るわけですから、後からトラブルがないよう予め書面で内容を確認してもらい、署名してもらうことから始まります。
そこから、看取り看護・介護が始まるわけです。看取りには看護的処置も必要なので看護師に目が行きがちですが、普段対応するのは介護職です。そのため私は介護職が中心で、看護師は補佐的な役割だと認識しています。
それでは看取りについて説明していきたいと思います。
看取りの兆候
・食べる量が減って、体重が減り、反応が鈍くなる。
・眠っていることが多くなる
→ 眠ってしまって反応がない、過呼吸と無呼吸を繰り返す
→ 生命維持の司令塔(呼吸中枢)にも時々、酸素不足の影響が及んだ状態
・脈が弱くなる
→足先が冷たくなる(チアノーゼ)
(心臓から遠いところから順に血液が届かなくなる
・喘ぐような呼吸(下顎呼吸になる)
→呼吸中枢にも酸素が届かなくなる。
最後に少しでも多くの酸素を肺に取り入れ込もうとるのは、生理的反応です。
しかし、意識を司る大脳にはもう酸素は届いていません。すなわち、意識はもうないのです。“夢の中”にいる状況です。以上が死にむかう4段階です。(この症状が必ずでるわけではありませんが)
介護者や家族の方がこの様子をみるのは正直辛いです。そのため、途中で気持ちが変わり、延命治療のために入院したいと要望する家族の方もいます。それが当然であるとも思えます。自分の父だったら、母だったらと考えると目の前の現実に畏怖を感じてしまうのは至極当然の反応です。事前に入居者本人から「ここで死にたい」と希望があれば、よいのですが、急変し意識もなくなり受け答えができない状況に変化することも多く、家族の方も混乱すると思います。
目の前での状態を理性的に受け止めて、入居者に無用な苦痛を与えないようにするためには、事前に一見修羅場のように見えても、実際は苦しくない当たり前の最後の幕が下りていることを理解してもらう準備が必要です。
しかし、この準備が整わないうちに終末期を迎える入居者の方もたくさんいます。
そのため、看取りもさまざまあり、最低限のことはしてほしい(栄養補給や点滴・酸素吸入くらいはしてほしい)という場合もあり、あるいは一切何もしないでほしい(栄養も点滴も不要)自然のままで逝かせてほしいとの要望もあります。その点は、事前に家族の方から確認、了解を取ることがとても大切になります。
この看取りの看護・介護は、入居者の最後の場所、家族の方の最後の別れになります。そのためには、看護師、介護職は「看取り」とは何かを十分学習する必要があります。家族の方との信頼関係構築もとても大切で、家族の方が「ここなら最後の場所になってもいい」と安心感を与えることが重要です。家族の方も人間です。迷いが生じることがあるでしょう。そのたびに家族の方に寄り添い励ましあうことも時には必要になってくるのです。失敗は許されないのです。
さいごに
人生の終わりが近づいてくると、身体は代謝を終えようとします。以前のように多くのエネルギーを必要としなくなります。そうしてついに最終段階に来ると、もう食べなくなります。無理に食べようとすると嘔吐するか、誤嚥するか、下痢をします。下痢は水分も排出するので脱水が併発し逆に死期を早めてしまいます。
要は身体が何も受け付けなくなるのです。人生の最後が近づくと食べなくなる、食べないで眠って夢の中で死ぬという、どの動物にも共通の、自然の摂理であるということを介護職は忘れてはならないのです。「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだから食べない」のです。これを家族の方や介護職は急に怖くなります。そして入居者本人の希望ではないかもしれない延命治療を希望してしまうことも多々あります。このときは先ほども述べましたが寄り添う介護が必要になるのです。
これは、社会福祉に関与するすべての事業者、ならびに経営者が知って置かなければならない事柄であると筆者は考えます。
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